仙台~平泉~盛岡~十和田湖~青森への旅行

私は、3年前から太田市医師会の理事を務めており、厚生部門を担当させていただいております。毎年、医師会旅行を企画するのですが、今年は、JTBの担当者と相談し、仙台~平泉~盛岡~十和田湖~青森への旅行を企画しました。もちろん、微力ですが、東北を少しでも応援できれば、ということです。

土曜日の診療が終わってから、バスで熊谷へ。新幹線で大宮経由、仙台に向かいました。熊谷~仙台は、1時間半くらいで着いてしまい、拍子抜けするくらいの速さです。

仙台は、大学病院勤務時代に、東北大学に来て以来です。骨髄移植バンクドナーの骨髄を取りに来たのです。東北大学でボランテイアのドナーから採取した骨髄液を、移植を受ける患者さんの待つ、母校、獨協医大まで持って帰りました。ドナーの骨髄が必ず搬送されてきて、移植できる。との前提で、患者さんには、すでに大量の抗癌剤投与、放射線照射が行なわれています。もし、ドナーの骨髄を持って帰れなかったら、患者さんは、そのまま死んでしまいます。あの時は、どんなことがあっても骨髄を無事に搬送しなくては。失敗の許されない仕事の責任感で、周りの景色を眺める余裕は、ありませんでした。

今回の旅行で、仙台をあらためてゆっくりと眺めましたが、仙台は、びっくりするような大都会です。ビルが建ち並ぶ街には、ネオンが輝き、表面上は、地震の影響は、ほとんど感じられません。しかし、タクシーの運転手さんの話でも、翌日のバスのガイドさんの話でも、震災後1ケ月くらい、電気、ガス、水道等のライフラインが不通なところが多く、大変な苦労だったそうです。そして、数キロ先の海岸では、あの凄まじい津波の被害があり、今でも復旧していない所が多数あるのだそうです。その話しぶりに、東北ではとんでもない災害が発生したんだという事が、ひしひしと感じられました。そして、みなさん、少しでも東北に来て、お金を使ってほしいと言っておられました。

翌日は、バスで平泉に向かいました。平泉は世界遺産になったばかりで、たいへんな混雑です。金色堂は、月並みな表現ですが、とてもきれいでした。五月雨の振のこしてや光堂。傍らに松尾芭蕉の碑がひっそり建っていました。

その後、バスで盛岡に移動。昼食は椀子そばです。エプロンを着け、人生初めての椀子そばに、戦闘準備完了。店の人が、お椀に、次から次に蕎麦を入れていきます。私は、なんと50杯も食べたのですが、これでも、男子の平均とのことでした。その後、十和田湖を(2011年10月)